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 散々威圧され心身ともに疲弊しているだろうからというアインからの提案により他の開発者は席を外し、生身の人間といえばベッドに眠る女子生徒と禱のみとなった医務室の中では、相変わらずの調子で翠霊たちが話し合いを続けていた。
 現在は――彼等という存在は不確定な要素が多すぎるため、あくまで禱の理解した範疇で言えば――RUNE(ルーン)の基本的なルール内で自由の効く境界を見極めているようだった。
 身体的な動作という動作を一切起こさないまま、しかし彼等はしばらくの後、お互いに納得したように頷く。
「いやはや、実に中途半端な制約を受けたもんだ。いっその事、手も足も出ないほどに縛り上げてくれたら良かったのに。ねえ?」
「被虐嗜好は隠したほうがいいよ、アイン」
 同意してもらえるだろうことを一欠片も疑っていなかったのか、スクの温度のない声音に窘められ、アインは気の抜けた息を漏らす。が、ひるむことなくルフィーロに再度問いかけるも、スクよりもあっさりと切り捨てられ、目に見えていじくれてしまった。
 そんな彼等の姿を禱が呆けたように眺めていると、それに気付いたルヴィーレが苦笑する。
「落ち着きがなくてごめんね。話がまとまったら、ちゃんとキミ……いや、禱くんにもわかるように説明するから」
「仲間はずれにしてるわけじゃないからいじけないでね!」
「僕みたいにね!」
「べ、別にいじけないけど……」
 アイン、ルフィーロの勢いに気圧される禱を庇うように、ルヴィーレは声を上げる。
「もう、二人共真面目に話するよ!」
「「はーい」」
 〝もう少しだけ待っててね〟とでも言うように手のひらをこちらに向けて笑むルヴィーレに対し、まるで弟二人に世話を焼く姉のようだ、などという感想を抱きながら、禱りは手持ち無沙汰に椅子に腰掛ける。彼等の話が纏まるまでは、まだもう少し時間がかかりそうだった。
 ふと窓辺を見遣るも、エルクローザは依然として視線を外へ向けたまま、ピクリとも動かない。禱は運良く所持していた紙製のルールブックを懐から取り出すと、もはや見飽きたその文字列を訝しげに見下ろした。

(……にしても困ったね)
 禱が俯き、こちらへ向けていた意識を外したところで、ルフィーロは真剣な声で呟く。
(禱にはああいったものの……正直結構まずい状況だよね)
 彼女の意見に、他の翠霊たちも同意する。
(そうだね……。手も足も出ないほどではないけれど、穏便に済ませるってわけにはいかなくなってきた、かな)
(最初からそれがわかっているからこそ、こうして話をしているのではないの? 早くプランを決めましょう)
 少し離れた場所にいるエルクローザが冷たく言い放つ。禱を挟んで向こう側に位置する彼女が突然意見したにも関わらず、禱は少しも反応することなく、ルールブックと向き合っている。
 それもそのはず、エルクローザは実際に口を開いたわけではない。彼女を含め、翠霊たちは精神感応(テレパシー)により言葉を交わしていた。
 当然禱が怪しまぬよう、表面上では馬鹿馬鹿しいやり取りを継続したままのことである。彼には〝仲間はずれにしない〟と宣っておきながら、翠霊たちは現在行っている裏側の会話の内容について、彼に伝えるつもりは爪の先ほどもない。
 これは、彼らなりの分別である。自身らが原因で巻き起こった争いに、無力な人間を極力巻き込まぬための、犠牲を最小限に抑える配慮と言ってもいい。
 そのやり方は極々冷淡なものだったが、今も何も知らずに着席したままの禱にとっては温度も何も関係がない。ただただ事務的に透明な境界線を設ける彼らは、慈母などではないのだ。
(プランと言っても)
 項垂れるようにしてアインが言う。
(状況がいつもどおりなら、プラン的には〝ガンガン行くぜ!!〟で決まりなんだけど……そうも言っていられないし、根本的に見直さないとな。……今一番ヤバいことって何だと思う?)
 アインの問いかけに、ルヴィーレとスクがそれぞれ答える。
「当たり前のことだけれど、私たちの概念が封じられていること」
「あとは……それ故に僕らが義体でしか存在できないこと。だね」
 皆が頷くのを確認し、口数の少ないスクに変わってルヴィーレが続ける。
(私達やスク、それにアインの概念が封じられている以上、一度義体が破損してしまうと、簡単には元に戻せない。それに加えて、エルの概念まで封じられている今――依代を失えば、私達は終わりだよ)
(エルもさっき言ってたけど、死なない代わりに最悪消滅ルートだな。あーあ面倒だな、私利私欲で周りを振り回す連中は)
(だね~。でも、同じルール下にいる以上、あいつらも条件は変わらないはず……なのになんであんなに余裕があるんだろ? なんかいやーなもの、隠してたりはしないよねぇ……)
 ルフィーロがそう言うも、現時点では答えのない疑問は即座に本題から除外し、エルは言う。
(義体の破損にしろ私達の消滅にしろ、ゲームの続行が不可能となれば、こちらの敗北は決まったも同然……。何にせよ、義体の損傷には常に気を配るべきね)
(そだね。……まあ、義体を壊して消滅しそうな奴なんて一人くらいしかいないけど)
(うん、そう言って僕の方見るのはやめてくれないかな)
 ルフィーロの意地の悪い視線を受けしょぼくれるアインに涼しげな目を向けつつ、スクは静かに問う。
(みんな、どの程度までは動けそう?)
(うーん……)
 ルフィーロは何かを確かめるように数度手のひらを開閉させると、溜息こそつかないが、落胆した様子で言う。
(僕に関してはもうほとほと役に立ちそうにないや。ラヴァン(ルヴィーレ)はともかく、今の僕は戦闘には不向きだし)
(ラフィル(ルフィーロ)のステータス、今は宣誓に極振りしてるからね……。私は相手の義体を壊すくらいのことは訳ないと思う。アインは?)
(僕は――そうだな、加減を間違えなければ辛うじて存在は守れると思うよ)
(不安だなぁ……。そう言うスクはどうなのさ?)
(……いつも通り。だよ)
(なら安心だね。まあ、最も君のことは誰も心配しちゃいないが……問題は――)
 そう言い、アインはゆっくりとエルクローザへ視線を向ける。表面上では彼女の容姿を白鳥に喩え感嘆の声を漏らしており、とても真面目な話をしているとは思えない。
(……おおよそ、使い物になるとは、とても)
 彼の視線を受けながら、エルクローザは静かに答えた。その答えに落胆することも、ましてや同情することもなく、スクが声をかける。
(エル、大丈夫だよ。君という存在は一にして意味を成す。今の状態じゃ、何もできないのは仕方がないことだから)
(……そうね。でも大丈夫よ、少しだって気にしてなどいないわ。私は私で上手くやれる。なにも手足がもがれたわけではないのだから)
 そう答えつつ、彼女が少なからず唇を噛み締めている様子を見て、アインは苦笑する。しかしあえて何も言わずに向き直る。
(まあ、全員えげつない縛りを受けているとはいえ、叩けば壊れる義体相手に戦えない程じゃないってことだね。そりゃあよかった、めでたしめでたしだ)
(ええ!? 待ってよ全然めでたくないし! 僕はどうすればいいのさ~!?)
 一人戦えないルフィーロが慌てて身を乗り出すも、ルヴィーレにやんわりと宥められる。
(あとで禱くんに相談してみよう。このゲームの開発者なわけだし、きっと解決してくれるよ。半分は私の責任でもあるし……)
(えーんっ! ラヴァン~っ!)
 わざとらしい泣き真似をしながらルフィーロが片割れにしがみついたところで、身じろぎさえもしなかったエルクローザが、身体を預けていた白い壁から離れ、彼らへと視線を向けた。
「……ちょっと貴方達。無駄話ばかりしているようだけれど、きちんと話は進んでいるのでしょうね」
 彼女の言葉を皮切りに、翠霊達は精神感応(テレパシー)による対話を切り上げ、表面上で行っていたくだらないやり取りに本題をすり替える。彼らの裏側のやり取りを知らない禱は、エルクローザの不機嫌そうな声に驚いてルールブックを取り落していた。
「も、もっちろーん! とりあえず、まあ……なるようになれ、だよ!! ね、アイン!」
「うんうん。心の準備をするだけ無駄だって結論が出たよ」
 へらりと言ってのけるアインの顔を見て呆れた表情を見せるも、先程の会話に参加していたエルクローザはそれ以上口を出すことはなかった。その代わり、溜息を一つついて、その身をするりと廊下に続く扉へと移動させた。
「付き合っていられないわ。少し席を外します」
「ええ!? 席を外すってどこへ!?」
 禱の声に少しも反応することなく部屋を出るエルクローザを慌てて追いかけつつ、禱は部屋に残っている翠霊たちに向き直り声をかける。
「できるだけ部屋を出るときは他の開発者と一緒に頼む! 多分隣の部屋でみんな待機してると思うから……ってエルクローザ! 待ってくれ――!」
 言うが早いか、禱は駆け足でエルクローザを追いかけて部屋を後にする。特にエルクローザの行動に唖然とすることもなく、残された翠霊達はのんびりと呟く。
「うーん……禱まで行っちゃった。僕らも散歩でもしに行く?」
「引きこもっていても仕方ないしね……。学校に実態を持って侵入出来ることなんて早々ないし、ちょっと探検してみてもいいかもね」
 ルフィーロ、ルヴィーレの言葉に、珍しくもスクが頷く。
「アインは? どうする?」
 ルヴィーレが優しく問うと、アインは少し迷った末、ひらひらと右手を振ってみせる。
「僕はいいや。もう少しここでゆっくりしてる」
「そう? じゃあ留守番だね~」
「寝てる女の子にいたずらしちゃだめだよ!」
「しないよ!?」
 大きな声で否定する彼に〝わかってるよ〟と笑いながら、外出を決めた三人はゆったりとした歩調で各々に部屋を後にした。
 その姿を見送ると、アインは一人、ベッドに浅く腰を掛け、眠る少女の顔を見下ろした。落ち着いた呼吸を繰り返し、ただ眠っているだけの少女を。
「……ごめんね。今の僕じゃ、君の意識を覚醒させられるほどの力が出せないんだ」
 自らの力で、傷はすでに完治している。それでも、この体では治せるものにも限界がある。
「悲しいな。人が傷付くのは……悲しいなぁ……」
 静かに少女の髪を撫でながら、アインはひっそりと願う。
「どうか、誰か彼女を救ってやっておくれよ。……僕の代わりにさ」