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「もうすぐ……終わるんだな」
 決して長くはなく、しかし短くもない数日間の出来事を思い返しながら、祷はぽつりと呟いた。
 誰にとっても、何にとっても得のひとつもなかった。なんて言えば、きっと全てに対しての否定になるだろうが。しかし正直、全てを放り投げ、自暴自棄にでもなりたい気分だった。
 それを察したのか、美しい銀髪のドールが振り向いて言う。
「案ずることはないわ。私達の勝利は初めから決まっているのだから」
 淡々と言葉を紡いでいるようだが、祷には分かっていた。彼女も、彼と同じ――いや、それ以上の喪失感と戦っているのだと。
「さあ、行きましょう。……お互いに、失ったものの為に」
「……ああ」
 目配せをし合い、彼らは終わりへと続く扉を開いた。
 醜い怨みと後悔を隠したまま、今はただ、人々を守る為に。



✣ ✣ ✣



 なぜ、どうして。そんな言葉ばかりが頭の中を駆け巡っていた。
 なぜ、どうして。あの子が、あんな目に合わなければいけないのだろうか。そして私は、なぜあの子を救ってやることが出来ないのだろうか。
――私は、無力だ。
 いっその事、もうこのまますべてが闇に閉ざされてしまえばいいのに。そう、強く願った。
 しかし現実は、私の細やかな祈りを受け入れてなどくれなかった。
 いずれ、絶望が見せるこの空虚な黒も、元通り色鮮やかな世界に戻るのだ。
――私は、非情だ。
 彼女のいない世界でも、色を感じられるなんて。そんな自分が、嫌で嫌で仕方がない。
 だけれど。
 私は、そうでなければならないのだ。
 自身の悲しみに、役目を、存在を、蔑ろになど出来ないのだ。
――それでも。
 私は、もうこれ以上。
 あの子を、失いたくない。

「……」
 現実は非道だ。どれだけ自身が光を嫌っても、まざまざと見せつけるようにそれを突きつけてくる。眠りではない、ただの閉じた瞳が作り上げるぼやけた闇を、彼女――エルクローザは、億劫に感じながらも諦めるように切り開いた。
 白銀の髪の隙間から、世界を垣間見る。その全貌を把握せずとも、彼女にはその場所が、自身の居るべき場所とは全く異なるものだと言うことが理解できた。
 白い壁に、白い床。様々な機械が犇めく研究室。一見するとそれは、あまりに自身にとって馴染みのある光景。しかし、違った。それは――世界ごと。
「……ここはどこ……?」
 口から出た言葉は、そんな大きすぎる違和感から出たものだった。
 眼前には、見知らぬ五人の人間の姿。そのどれもが、怯えを抱えているようだった。
 場所が場所であるならば、恐らく彼女は舌打ちをしていた事だろう。普段は温厚である彼女だが、それは自身が愛してやまない世界を相手にしているからこそ。今自身が存在している世界は、決してそれではない。
 正直彼女は苛立っていた。自身をこの世界へ喚んだのは、目の前にいる人間のどれかだろう。自らを強引に引き寄せておきながら、こちらを見て怯えるなんて。不躾が過ぎる。
 自身の体が、訳のわからない機械に繋がれている事も非常に腹立たしい。感覚からするに、なにかの器に降ろされたのだろうが、それにしても、自身のような存在を降ろすのであれば、もっと入念な準備をするべきだ。
――降ろされたのが私で、ある意味この子たちは救われたわね……。
 溜息を着いてしまいたい気持ちを必死で堪えながら、エルクローザは自らの力を持って、この拘束状態から抜け出そうと試みる。が、何度試そうとも、自身の力が言うことを聞かなかった。
 世界が違えど、自身の力のあり方は変わらないはず。自身が自身として確立されてからの長い年月の中を探っても、今起こっている異変は初めてのものだった。
――何かがおかしい。
 そう感じたエルクローザは、静かな怒りを声音に湛えながら、人間たちに問う。
「もう一度聞くわ。ここはどこ? 貴方達には答える義務があるはず」
 彼女が憤慨しているのに気付いているのだろう、五人いる中の一人が短い悲鳴をあげる。しかしその後に続いた言葉は、エルクローザの問いに対する答えでも、彼女に対する謝罪でもなかった。
「たっ……助け、て……ッ」
「……? 何を――」
 何を言っているの。そうエルクローザが問おうとした瞬間――何かが、声を上げた少女を横に薙ぎ払った。
「!」
「ぐッ……!!」
 派手な音を立て壁に身体を強打した少女、呻き声と共に床に落ちた。すぐさま彼女を庇うように他の人間達が取り囲み牽制しようとするも、その姿はあまりにも弱々しい。
 何が起こったのかわからず、エルクローザは困惑した。しかし今何もわかっていないのは彼女だけのようで、その他の人間は、少女を薙いだ〝何か〟を絶望の眼差しで見つめていた。
 正直、この世界で起こるあらゆる事象に、エルクローザは興味がなかった。なぜなら、自身に関係がない――否、自身は他世界に関係してはならない存在であるからだ。しかし、その〝何か〟を視認した途端――彼女は、無関係ではいられないどころか――完全に、当事者と言う立ち位置にまで引きずり出されてしまったのだった。
「……〝堕星〟……」
 その名を口にして、エルクローザは自身の背中に冷や汗が流れるのを感じた。決してそれは身の危険からくるものではない。一番近い言葉で表すなら――それは嫌悪と言ったところだろう。
 願わくば、もう金輪際その存在を感じたくさえない相手が、そこに悠々と立っていた。
「ご機嫌麗しゅう、〝神様〟」
 エルクローザに堕星と呼ばれた女性は、その言葉ににやつき顔をより一層嫌らしく歪ませながら、嬉しそうにそう言った。
「んふふ……こんなくだらない場所でも遊びに来てよかったわ。まさか本当に貴女に会えるだなんて。ずっと会いたかったのよ、〝神様〟。それはもう、頭を掻き毟るくらい」
「……」
 カツカツと靴の踵を鳴らし、大げさな身振りでそう宣う彼女に、エルクローザは顔を顰める。
「貴女が私を喚んだのね……」
「ええそうよ。でも正確には指示をしただけ。喚んでくれたのはこの子たち人間。正直成功するとは思っていなかったのだけれど――試してみるものね」
 褒めてあげるわ、と人間へ視線を向けるも、それを受けた人間たちは彼女を睨めつけるばかりだった。
 流石にエルクローザも、この段階になっては人間たちに怨嗟を向けるのは間違いだと改める。人間たちは、彼女に何らかの脅しを受け、仕方なく従っているようだった。
「一体何のつもりでこんな事をしているの」
 エルクローザは倒れ伏す少女を一瞥し、言う。
「……人を傷つけるなんて」
「殺してないんだからそんなに怖い顔しないでよ」
 エルクローザから軽蔑の眼差しを受けながらも、堕星はその笑みを絶やすことなく彼女を見つめている。
「答えなさい。何が目的なの」
 いっそう強く堕星を睨みながら、エルクローザは問うた。しばらく勿体ぶるように身体をくねらせていた堕星であったが、散々無意味な素振りを繰り返したのち、ようやく口を開いた。
「私はね、まだあの時の結末に納得していないの。あんな終わりは有り得ない。そうでしょう? それは貴女にとっても同じはずよ、エルクローザ。ねえ、だから私、もう一度やり直すためにずっと舞台を探していたの。この世界には、そのための土台がある。そして役者も今ここに揃ったわ」
「往生際の悪い……。決着は着いたはずでしょう」
「黙りなさい!! あんなくだらない最終回が認められるはずがないわ!!」
「くだらない……ですって?」
 堕星の言葉にエルクローザが眉間を顰めると、彼女はニヤニヤと笑う。
「ええ、下らないわ。やっぱりエンディングにはそれなりの展開が必要だもの。あんなふうに幕を無理矢理閉じるようなやり方は美しくない。もっとお互いに苦労するべきよ。そうでしょう?」
「言わせておけば……ッ」
 エルクローザは怒りに任せて身体を捩(よじ)るも、強固なコネクタは彼女を自由にすることを簡単には許さなかった。力に任せてコードを引きちぎる事も出来なくはないが、人間たちの方へ歩み寄る堕星の姿に、動きを止める。
 無関係ではなくなった世界で、そこに生きる人間を人質に取られている以上、自らの軽率な行動でそれらに危害が及ぶようなことがあってはならないのだ。
 そんな彼女の様子を見て、堕星はいい気味だと言うように笑む。
「そう。前のように狡賢い手を使われるわけにはいかないから、貴女達の忌まわしい能力は封じさせてもらったわ。正々堂々、同じ条件で戦いましょう」
「無意味だわ。どれだけ足掻こうが、貴女達は私達に勝てない」
「あらあら、随分と威勢の良い事。なんなら今ここで引き裂いてあげてもいいのだけれど――身動きも取れない相手を一方的に嬲る趣味はないの。あいにく私には、ね」
 含みをもたせてそう言うと、堕星は無感情な笑みを顔に貼り付けたまま、五人の人間の中から一人をつまみ上げ、強く背中を押し、エルクローザの前に差し出す。
「後のことはこの子から聞いて。せめて時間くらいは貴女達に決めさせてあげるわ。……それじゃあね〝神様〟。貴女達を殺すのが楽しみだわ」
 堕星は最後に僅かな憎しみを滲ませながら、その姿を消した。残ったのは五人の人間と、繋がれたままのエルクローザ。彼女は堕星に差し出された一人の青年を睨み、言った。
「これを外しなさい。話はそれからよ」